素数の話 (メルセンヌ数)。研究とは

ポッドキャスト「This American Life」で見つけた「So Crazy It Just Might Work(Prologue)」が興味深かったので紹介。英語でも日本語でも数学嫌いな人には全く入ってこない話かも。トークショーホストの人も「a warning. I am going to talk about math」の一言から始めてる。ここに書いてるイマイチな自分の訳よりもポッドキャストの方が臨場感が味わえて良いので英語のわかる方はぜひそちらで。


素数は、自分以外の数では割り切れない数字のこと。例えば、3、5、7など。4は2で割れるので素数ではない。素数についての歴史は古く、2300年以上前、古代エジプトの数学者エウクレイデス(Euclid)は、素数が無限に存在することを証明した。小さい数だと簡単に素数かそうでないか分かるが、大きい数の場合、計算が必要になる。そこで1644年、素数の魅力に取り憑かれていたマラン・メルセンヌという修道士がある公式を思いついた。その公式は、メルセンヌ数と呼ばれるもので、「2n-1」で得られる数は素数nを代入した値も素数になると予想されていて、当時、n の値は「 2, 3, 5, 7, 13, 17, 19, 31, 67, 127, 257」の11個と公表された。この段階で話がややこしすぎる人には、この「2n-1」や「267-1」という式は数学者の間で有名であったということ。ちなみに267-1は、「147,573,952,589,676,412,927」の21桁の数。

1644年、この式をメルセンヌの論文は証明することなく終わっている。それから約250年後、1904年、数学者フランク・ネルソン・コールがアメリカ数学学会で講演をした。講演のタイトルは「On the Factorization of Large Numbers(大きな数の因数分解について)」。講演が始まると彼は黒板に向かい、何も言わず「267-1」と書いた。それが有名なメルセンヌ素数であることは、もちろん聴衆の誰もが知っている。そして、等式(イコール)と書いて、21桁の数字を書き出した。

続いて、彼は白紙の黒板に移動し、2つの数字を書いた。ひとつは9桁の数字、もうひとつは12桁の数字だ。そして、それらの数字を、小学校で習ったように掛け算をし、黒板に書き始めた。計算している間、彼は何も言わず、聴衆もみんな黙って座っていた。

素数というのは、2つの数を掛け合わせた結果、素数になるというものだ。すなわち素数は割り切れないものなのだ。二つの数を掛け合わせた結果、21桁の数が得られたとしたら、その21桁の数は素数ではない。もしメルセンヌがこれを素数だと考えたとしたら、250年前に発表された彼の公式は素数を弾き出すことになっている。

学会会場では、フランク・ネルソン・コールが黒板に向かって、ゆっくりと長い掛け算をしている。大きな数字だから時間がかかる。部屋いっぱいにいる数学者達は、彼をただ見ているのだ。きっと多くの数学者が、彼に計算ミスがないかを吟味しているのだろう。彼はまだ一言も発しない。

そして、計算を終えた後の黒板に示された結果は、初めに黒板に書かれた21桁の数字そのものと一致した。その瞬間、会場全体が拍手に包まれた。数学の学会でスタンディングオベーションが起こったのはこれが初めてだという。そして彼は何も言わずに席に戻った。

その後、誰かが彼に「メルセンヌの267-1が素数ではないと分かるのに、どのぐらいの時間がかかったのか?」を尋ねた。すると彼は「3年の間、毎週日曜日をこの研究に費やした」と答えた。

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(ポッドキャストホストのゲスト、Paul Hoffmanの見解)

この3年間の日曜日は、おそらくあらゆる可能な解決策を試して問題を解決するのに費やされたのだろう–2の67乗マイナス1という巨大な数を、ある数で割り、また次の数で割り、また次の数で割り……。日曜日の3年間は156日。そのうち155日間、フランク・ネルソン・コールは失敗した。そして156回目の日曜日に、フランク・ネルソン・コールはついにそれを均等に割る数を見つけた。

科学とはそういうものだ。現実の人間が壁に頭をぶつけ、何年も失敗を繰り返しているんだ。それがもう一つのことです。私たちは、この遺伝子が何をするのかを見つけようと2年かけてあきらめた研究者や、太陽系外の惑星を見つけようと3年かけてあきらめた研究者について話しません。洞察力と努力の組み合わせなんだ。


(自分の感想)そう、この地味で時間がかかる作業をある意味耐えながら進めれるかどうかで、研究者に向いてるかどうかが分かる。絡まった釣り糸を1箇所ずつ解いていく様な作業。大学院に入った当初、研究というものが何かもわからず、いわゆる”頭がよい人”しか研究者になって生き残れなく、「一流大学出身者のみが研究者になれて、そうでない自分は大学院の段階で挫折するんやろうな」って思ってたのは大きな間違い。

研究ということだけでなく、日本とアメリカでは「優秀」とされる人のグループが違う。大学受験で考えると、日本の場合、学力のみなところ、アメリカの場合、頭脳明晰な事に加えてリーダーシップやらボランティア経験なども要ったりする。教員側になって思うのは、大学が次世代のリーダーを育てる機関という明確な目的がある(一流になればなるほど)。これは大学生だけでなく、大学院生、ポスドク、研究者、教授陣とそれぞれのキャリアレベルで、人材を育成しているイメージ。リーダーシップだけでなく、優秀な人の層の厚みにも重きが置かれてる。

結局のところ、過去30年以上も続く日本の衰退を食い止めるにはどうすれば良いのかって問題に行き着く気がする。ちょっと前にNatureに出てた日本の研究レベルの減退についての記事「Japanese research is no longer world class — here’s why」も同じ。答えに行き着くために一つ一つ紐解いていく作業をしてるような気がする。

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